ボロは着てても心は錦

貧乏を楽しむ技術

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」再読

この本を読むのは3度目。1回目は2007年出版直後、2度目は去年走り始めた頃、そしてフルマラソンを終えて3度目。当たり前だけど、読むたびに「なるほど」と思う箇所やランナーとしての状況の理解度が違う。やはり、週60キロ走るとはどういうことか、毎キロ5分で走るとはどういうことか、を経験として知らないと理解できないことも多い(人の経験は様々で、勘違いして共感していることがほとんどですが)。だから、3度目の今回が一番面白く読めた(少なくとも「走っているとき何を考えていますか」という類いの質問は私はしないと思う)。

しかし、「走ることについて語るときに僕の語ること」はすでに30年近く走ってきて、初老を迎えつつある60過ぎの村上春樹がその当時考えていたことをもとに書かれているので、彼が30代、40代、50代のとき、走るということについてどう考えていたのかはあまり描かれていなかった。60過ぎが主に考えることはやはり「老い」についてであり「知的にも体力的にも少しづつ転がり落ちる人生をどう負けるか」についてである。なるほどな、と思うことも多かったが、まだ30代、ランナーとして走り始めたばかりの自分にはこの本は早すぎたかもしれない。私にはもう少し練習方法やタイムで右往左往する時間が残っている。まだ、NYシティーマラソンにも出ていないし、ボストンマラソンにも出ていない。ホノルルマラソンさえ出場したことがないのだ。村上春樹がたどったランナーとしての道を私がそのままたどるとも思わない。時代や状況が違い過ぎる。だから、この本に書かれていることは、例えば私の親がランナーで「私はこういう風に走ってきたよ」という飲み屋ばなしの1つぐらいにとどめておこう。私が60過ぎになったとき、また読んでみたら違うことを感じるだろう。